
<2019年6月Vol.9号>
レッドスターコンサルティング株式会社 の大野です。
今回は偏差値30台の機械科高校卒の私が税理士になった理由とは
結論から言うと、19歳の時、夢を追って無謀なチャレンジしている知人を見て、人生で1回も夢を追いかけないで死ぬ人生なんて嫌だなと感じたからです。
このまま自分が結婚して子供を授かった時に、自分が夢や目標をもって生きていないのに
子供に夢や目標をもって生きいきなさいと心から言えるのかなと思いました。
そして、自分が大人になって夢や目標を持っていない、ダサい大人になるのが嫌だなとも思いました。
税理士資格を取得するのに私は大学を出ていなかったため、簿記の最高峰と言われる日商簿記1級を取得する事が税理士試験の受験資格でした。
そこから、5科目合格を目指すという長い道のりだからこそ、偏差値30台の機械科高校卒業の自分にとっては、嘘偽りのない最高の夢だと思いました。
そして、税理士は難関国家資格です。
20代の税理士は1%未満とも言われていますので、本気で頑張ったとしても絶対に合格できる保証はないなとも思いました。
なので、税理士に仮になれなくても、死ぬまで税理士試験を本気で受験して、目標を追っている姿を子供に見せられたらいいな、という思いが1番の動機でした。
税理士にチャレンジすると決めた19歳までの私はというと、無気力で頑張ることをせず、安全な橋しか渡っていない、超堕落した人生を送っていました。
その結果、タイトルにもあるように偏差値30台で機械科高校卒業というキャリアになってしまったのです。
では、夢を追うのになぜ税理士を選択したのかいうと、昔、税理士の父から大学も出ていないお前では税理士資格は厳しいだろうなと言われていたからです。
実際、私が税理士試験のを勉強をしていた時も、父は最悪、自分の事務所の事務員として働けるだけのスキルが身についてくれればいいよくらいに思っていたみたいです。
親父自身は中央大学法学部で弁護士を目指していた、お勉強面では優秀な人だっただけに、19歳までいっさい勉強を放棄していた息子では、合格は厳しいだろうなと思うのも当然です。
周りの知人達からも、お前じゃ税理士は無理と思われていました。
だからこそ、周りを見返してやりたいという思いが、強力なエネルギーになった気がします。
ちなみに、祖父も税理士でしたので、私は3代目税理士という位置づけでした。
このような、いくつかのきっかけから、私の夢を追いかける道が始まったのです。
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